yamakiの山歩記ホームへ    山名:高妻山 妙高山
 2010年10月2日〜10月5日

2010年10月1日 夕方自宅を出発し、東部湯の丸SAで車中泊
2010年10月2日 戸隠牧場駐車場から高妻山登山、下山し、中野の河村さん宅泊
2010年10月3日 河村さん宅に連泊
2010年10月4日 妙高近辺を散策し、道の駅「しなの」で車中泊
2010年10月5日 燕温泉登山口から地獄谷ルートで妙高山登山し、同じ道を下山、小出に移動し、関越道で帰宅
 
2010年10月2日 高妻山 (登5:24 下4:19)【登4:40 下3:25】 

戸隠牧場駐車場6:05 −登山届ポスト6:09 −7:52一不動(休憩)7:58 −二釈迦 −8:25三文殊 −8:43四普賢 −9:05五地蔵9:10 −9:14五地蔵山 −9:18六弥勒 −9:26七薬師 −9:56八観音 −10:11九勢至 −11:26十阿弥陀 −11:33高妻山山頂(食事)12:11 −12:16十阿弥陀 −12:57九勢至13:01 −13:12八観音 −13:41七薬師 −13:49六弥勒 −13:55五地蔵 −四普賢 −14:29三文殊 −14:38二釈迦 −14:45一不動14:57 −16:05登山口ゲート −16:30登山届ポスト

 高妻山の登山口になる戸隠牧場駐車場で長野の河村さん夫婦と待ち合わせし、一緒に登山する。 河村さん夫婦は登山のスピードが速いのでいつもは我々が先に登り、後から河村さん夫婦が追いかけてくるパターンだが、今回は登山口から一緒に登ることになった。
 戸隠牧場の中を通り、沢を何度か渡り、鎖場を登ると例の一枚岩(帯岩と呼ぶらしい)をトラバースする場所に出る。 ここを鎖を利用し慎重に進む。 氷清水で冷たい水を飲み、少し登ると一不動避難小屋に出る。小屋の外にはベンチなどの座って休む場所が無いので立ったまま休憩。 一不動からは稜線歩きになり、山頂までいくつかのピークを越えねばならないのが見える。 また、頂上直下はかなりの急登である。 五地蔵の辺りで両足の脹脛に違和感を感じ、着けていたスパッツの紐(ゴム)を緩める。(普段はスパッツは着けていない。5年振り位に着けた。) 八薬師の辺りでは、不安になり、スパッツを取り外した。 九勢至を過ぎて少しすると凄い高妻山山頂急登になり、両足の腿の付け根が痙攣して思うようには登れなくなってしまった。 歩けないほどの酷い痙攣ではなかったので、ゆっくり休み休み登り、何とか山頂に立てた。 天候は良く、北アルプスも見えていた。 山頂で食事をし下山する。 山頂直下は急な下りであり、慎重に下った。 一不動では空腹でたまらず避難小屋の中でオニギリを食べる。 一不動には、戸隠山を下山してきた人が大勢居た。 一枚岩のトラバースや鎖場も慎重に下る。 登山口ゲートに下り、戸隠牧場に入り、放牧されている牛の脇を通り、登山口に戻る。 登山口ゲートでは放牧されている牛の写真を撮ったりしてかなりの時間遊んだ。 ただし、下山時のコースタイム3:25はかなり厳しい値である。 私は気が付かなかったのだが、下山途中に戸隠牧場へ行く別の道が有ったとのことで帰ってから調べてみると確かに戸隠牧場の登山ゲートから六弥勒までの弥勒尾根新道と言う道が2008年頃にできたようで30分ほどコースタイムが短いようである。 登り/下りのどちらかは弥勒尾根新道を使ったほうが良かったような気がする。 登る前に良く調べておくべきだった。
 足の痙攣は過去に七峰縦走時に左足の大腿四頭筋の痙攣を経験しているが、今回の両足付け根の筋肉の痙攣は初めてである。 原因は 1.高妻山の難易度が高いこと 2.久し振りに使ったスパッツで締め付けた為 3.先週の1週間体調を崩して寝ていた為  が考えられる。  なお、この付け根の筋肉は縫工筋と呼ぶ部分か?
  
 10月2日は河村さん宅にお世話になる。 10月3日は河村さんの家庭農園で芋掘り。安納芋/紅あずま/なると金時の3種類。 収穫は昨年より少なかったようだが、芋堀作業としては丁度良い量である。 芋堀が終わってから柏崎の”とみ家”にジャンボエビフライを食べに行った。 この日も河村さん宅にお世話になる。
 10月4日、天気が良ければ妙高山に登るのだが、天気予報は良くない。 道の駅「しなの」まで行くと雨が降り出す。 道の駅はまだ開いていなかったが農産物直売所は開いていたので、適当に購入。 雨は本格的になり今日の登山は諦める。 昼近くになり雨が小降りになったので、車を走らせる。 黒姫高原ではコスモス園まで行ったが、雨が止まなかったので車から降りず。 次に苗名滝に行く。ここでは雨も小降りになり、滝の近くまで歩いて行った。 立派な滝である。 その後、妙高高原池の平温泉、イモリ池などに行くがやはり雨の為、車を降りず、今日の車中泊の予定である道の駅「しなの」に戻った。同様の車中泊は4組。
2010年10月5日 妙高山(登4:34 下3:08)【登4:40 下3:10】 

燕温泉登山口駐車場(1150m)6:07 −登山届ポスト6:13 −湯道の入口 −6:59赤倉温泉源泉管理小屋 −7:08湯道から登山道へ −7:30麻平への分岐(下) −7:33麻平への分岐(上) −7:56(5分休憩)8:01 −8:16胸突き八丁 −8:39天狗堂(天狗平)8:50 −光善寺池 −9:19風穴 −10:00鎖場の下 −10:47妙高山山頂11:02 −11:38鎖場の上 −11:44鎖場の下 −12:11風穴 −12:22光善寺池 −12:29天狗堂12:34 −12:48胸突き八丁 −13:15麻平への分岐(上) −13:17麻平への分岐(下) −赤倉温泉源泉管理小屋 −13:55湯道の入口 −14:10登山届ポスト 
 

 去年の10月中旬には、燕温泉登山口まで来て、降雪の為、登山を諦めた。 また、昨日は雨の為、この近辺を一日ブラブラしていた。 妙高はどうも天気に恵まれないのか? でも、今日はやっと天気も良くなったので登る事ができる。 燕温泉登山口駐車場に5時15分頃着いた。 途中、夜間工事中の看板があり、燕温泉の手前のトンネルの工事のようだが、5時を過ぎていたので、通行できた。 車が1台止まっているが、人は居ない。 初めての山なので、他の登山者の後をついて行きたいが、6時近くになっても、他の登山者は来ない。 仕方なく、6時に準備を始め出発する。 駐車場にあった地図には、麻平を通る妙高縦走線がメインルートで、地獄谷ルートがサブルートの様に書かれていたが、事前に決めていた地獄谷ルートとする。 まず、惣滝展望台方面と書かれた方向に進み、黄金の湯の脇をとおり、コンクリートの道を約20分登ると湯道の入口に着く。ここには「↑登山道方面 小さい字で登山道ではありません」と書かれた標識がある。 ここから赤倉温泉源泉管理小屋までは巾1メートル弱のコンクリの道である。 このコンクリの道を湯道と呼ぶのでしょう。 赤倉妙高 北峰温泉と燕温泉の微妙な関係なのか? なお、一部分には登山者はコンクリの道でなく直ぐ下の石の道を通る旨の案内がある。 管理小屋から少し登るとコンクリは無くなり、光明滝、称名滝の脇を通る。 この辺りから登山道になる。 少し進むと麻平からの妙高縦走線と合流する。 傾斜もきつくなり、ゴロゴロした石の登山道を約1時間登ると「胸突き八丁 天狗堂まで200mで30分」と書かれた標識に出る。 天狗堂は赤倉温泉からの登山道の合流地点である。 ここで休憩していた夫婦から昭文社の地図では天狗平から山頂まで2時間と聞く。 少し進むと光善寺池に出、更に登ると「風穴 妙高山頂まで1.0k」と書かれ標識があり、鎖場下部には「鎖場 山頂まで500m」と書かれた標識がある。鎖場はやや長いがステップが切ってあり、問題は無い。私は鎖場の少し手前から息切れがして休み休みの登りとなる。 岩場を登り切ったところが山頂と思ったが、そのような標識は無く、更に奥に進み、三角点の有る山頂の標識にたどりついた。 残念ながらガスが掛っ妙高大神 南峰ていて回りは何も見えない。 しかし、見た目には標識の有る場所よりも最初の岩場を登りきった場所(下の写真 妙高大神)の方が高い。 帰ってから調べてみると妙高山の標高2454mは妙高大神のところで南峰と呼び、三角点の有る山頂の標識のあるところは2445.9mで北峰と呼ぶらしいが、北峰に2454mの標識を置いてあるようだ。 でもこれは、行く前にもう少し調べておくべきであった。
百名山と言うのに登山者が少ない。 今日の登山者は、先に登っていた1組2名(途中で下山)と後から登ってきた4組5名で我々も含め6組9名だったようである。
 下山は、同じ道をそのまま下山する。 この位の標高なら下山時は普通、息切れはしないのだが、今回は鎖場の少し下まで息切れし休み休み下った。 源泉管理小屋付近で作業している方が温泉の水は飲めると言うので飲んでみた。 鎖場から上の部分ではかなり息切れしていたが、ほぼコースタイムで登山できた。
 下山後、関温泉で入浴し、明日/明後日の会津駒ヶ岳/越後駒ヶ岳登山の為、栄村、十日町を経由して小出まで行く。 小出のレストランで夕食中、明日の天気予報を確認すると午前中は雨の予報が出ていた。 小出の道の駅「ゆのたに」で車中泊する予定であったが、天気予報を信じ、明日の登山は諦め、関越道に乗って帰ることにした。 途中、赤城高原SAで仮眠するつもりで、車を走らせるが、沼田の手前から前が見えないほどの豪雨に見舞われた。

(まとめ)
 数年前にできた高妻山の弥勒尾根新道や妙高山の南峰/北峰に関しては、調査不足であった。(反省)
会津駒ヶ岳/越後駒ヶ岳登山は無理すれば行けたであろうが、同じ地域の平ヶ岳も残しているので、来年の7月頃に計画しようと考えている。
  

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